あのひとへのメールについて。
2002年2月10日けじめのつもりで書いた手紙は、卑屈な気持が腹の中にあって、それがうしろめたい微熱を発していた。
文章こそ決然としたもので、実際そういう気持もあったけれど、それを別れと言ってしまうにはあまりに耐え切れない自分が残されてた。
しかも、それについて、深読みされるのが怖くて、別れのメールだと誤解されるのが怖くてごめんなさいというお詫びを書こうと考えた。
考えたものの、何についてあやまればいいのか、ぼんやりとしかわからなかった。
何かが悪いことを相手にしたのだと伝えていたけれどそれがなんなのか見当がつかないままに、時間に追い立てられるようにして(相手に残されている時間は推定の域でもかなり少ない)、手紙を携帯にしたためた。
クリスマスイブの晩から正月の半ばまで、そしてそれから今日にいたるまで、漠然とだが、ずっと事態が悪くなるような気がしていて仕方がなかった。家族が倒れ、相手の予定が延期されるという話を貰い、なおさらにそういった気持が加速していった。
いや、不安がそうした事態を招いたのかもしれない。
ここ数日の話、それとその端緒である少し前に宛てた手紙に書いた言葉「愛する」が重い言葉ではなかったかという疑問・不安。それは全部自分の不安や
相手への依存が招いたものだ。
深読みとか、その先回りとかって姑息なやりかたは、単に自分の不安を消し去りたいという手段にほかならない。「ケジメ」の手紙の返事どころか、どうにか先方が都合をつけて書いてくれていたほぼひと月おきのメールすら待てず、いつでもとにかく連絡をとらないことには不安でいたたまれない・・
・・それはたしかに連絡先がメールひとつきりであり、そのメールも日程や時間が限定されているという制約が、または相手の崩しやすい体調であるとか、そうしたことが懸念される材料として厳然とあったということもいえるけれど・・
・・だからこそこちらから謝って仲直りさえしてしまえればまたメールが書けるとか、そんなふうに考えていた。
相手の気持を確かにみたいがためにメールを乞うという、それは正しいけれど、発信されてくる回転をあげてくれ、とは、相手の事情を正しく汲んでいない、いや汲んでいたとしたところで常識的に言って、こちらから催促できることだろうか?
だいたい、メールを送りたいから謝るなどと、そこにあやまる気持なんて全然入っていなくないか?
詫びる気などあるのか?
そんなんでよくも言葉が届かないなどと言えたものだな??
いつもそうだ。自分のことしか考えてないことを証明するみたいに、気がつくととりかえしのつかないことに陥っている。
彼女は、彼は、俺のそういう部分も寛容に受け止めてくれる・・・そんな甘えが、真の友人関係や、恋人関係(彼女は恋人じゃないが。)にあろうはずがない。というか、あっちゃいかんだろう。
なんでいつも忘れちまうんだよ、俺。ああ?
いつも彼女に心からほほえんで欲しいだけなのに、
いったいなにがどうしてこういったことになってしまうのか。自分にルーズな俺がすべての元凶なんだ。
同僚の言うように、視界を広げるように別枠の友人をつくっていけば、
愛する人々にわざわざ「愛してる」などと伝えたくてたまらん気持などにならずに、
彼ら彼女らに必要以上の負担をかけず、
ひいては俺にいきすぎた不安を抱えさせずに、
かつて抱いた夢
「みんな仲良く」
ってアレを実現させることができるのだろうか?
俺は誰も失いたくない。
これは甘い考えだ。
わかってる。
でもこれだけはいえる。
俺は俺の行き過ぎた不安や気遣いで、
誰かを失いたくない。
あのひとは戻ってきてくれるだろうか。
思い過ごしなのかどうかもわからない。
とにかく最善を尽くすしかないんだ。
悔しい。
自分が悔しい。
文章こそ決然としたもので、実際そういう気持もあったけれど、それを別れと言ってしまうにはあまりに耐え切れない自分が残されてた。
しかも、それについて、深読みされるのが怖くて、別れのメールだと誤解されるのが怖くてごめんなさいというお詫びを書こうと考えた。
考えたものの、何についてあやまればいいのか、ぼんやりとしかわからなかった。
何かが悪いことを相手にしたのだと伝えていたけれどそれがなんなのか見当がつかないままに、時間に追い立てられるようにして(相手に残されている時間は推定の域でもかなり少ない)、手紙を携帯にしたためた。
クリスマスイブの晩から正月の半ばまで、そしてそれから今日にいたるまで、漠然とだが、ずっと事態が悪くなるような気がしていて仕方がなかった。家族が倒れ、相手の予定が延期されるという話を貰い、なおさらにそういった気持が加速していった。
いや、不安がそうした事態を招いたのかもしれない。
ここ数日の話、それとその端緒である少し前に宛てた手紙に書いた言葉「愛する」が重い言葉ではなかったかという疑問・不安。それは全部自分の不安や
相手への依存が招いたものだ。
深読みとか、その先回りとかって姑息なやりかたは、単に自分の不安を消し去りたいという手段にほかならない。「ケジメ」の手紙の返事どころか、どうにか先方が都合をつけて書いてくれていたほぼひと月おきのメールすら待てず、いつでもとにかく連絡をとらないことには不安でいたたまれない・・
・・それはたしかに連絡先がメールひとつきりであり、そのメールも日程や時間が限定されているという制約が、または相手の崩しやすい体調であるとか、そうしたことが懸念される材料として厳然とあったということもいえるけれど・・
・・だからこそこちらから謝って仲直りさえしてしまえればまたメールが書けるとか、そんなふうに考えていた。
相手の気持を確かにみたいがためにメールを乞うという、それは正しいけれど、発信されてくる回転をあげてくれ、とは、相手の事情を正しく汲んでいない、いや汲んでいたとしたところで常識的に言って、こちらから催促できることだろうか?
だいたい、メールを送りたいから謝るなどと、そこにあやまる気持なんて全然入っていなくないか?
詫びる気などあるのか?
そんなんでよくも言葉が届かないなどと言えたものだな??
いつもそうだ。自分のことしか考えてないことを証明するみたいに、気がつくととりかえしのつかないことに陥っている。
彼女は、彼は、俺のそういう部分も寛容に受け止めてくれる・・・そんな甘えが、真の友人関係や、恋人関係(彼女は恋人じゃないが。)にあろうはずがない。というか、あっちゃいかんだろう。
なんでいつも忘れちまうんだよ、俺。ああ?
いつも彼女に心からほほえんで欲しいだけなのに、
いったいなにがどうしてこういったことになってしまうのか。自分にルーズな俺がすべての元凶なんだ。
同僚の言うように、視界を広げるように別枠の友人をつくっていけば、
愛する人々にわざわざ「愛してる」などと伝えたくてたまらん気持などにならずに、
彼ら彼女らに必要以上の負担をかけず、
ひいては俺にいきすぎた不安を抱えさせずに、
かつて抱いた夢
「みんな仲良く」
ってアレを実現させることができるのだろうか?
俺は誰も失いたくない。
これは甘い考えだ。
わかってる。
でもこれだけはいえる。
俺は俺の行き過ぎた不安や気遣いで、
誰かを失いたくない。
あのひとは戻ってきてくれるだろうか。
思い過ごしなのかどうかもわからない。
とにかく最善を尽くすしかないんだ。
悔しい。
自分が悔しい。
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